2004年12月15日

思考の純粋性について

1日中家に篭っている日が続くと思考の純粋性について考える。私は自分が一番頭が良く周りの人間は馬鹿だとは思ってはいないはずなんだけど、そんな考えの両親に育てられたので、卑屈に考えになってしまい、ひきこもるようになってしまった。確かに私も自分は一番頭が良い、『自分以外はみんな馬鹿』だと思っていた時期もあったが、それは自分の内面へ向けた言葉であり、対外的には卑屈だった。両親もそんな性格だったのかもしれない。ネット上では『ニートは駄目だ。ひきこもりは駄目だ。私や俺は頭が良いから良く考えているからそう断言できる。』という意見を多く見かける。こういった考えを持っている方はそれなりに器用に世間を渡っていけると思うが、そういった柔軟性のない固い考え方ではいつ磨耗したり折れてしまったり金属疲労に似たものが鬱積してしまい、次の世代で無気力にさせられてしまう影響が出てしまう。少なくとも私はそんな先祖代々の負の遺産を引き継いだ世代だと思う。無理をするとどこかに歪みが出る。子供を作らないと決めた人は『俺(私)って頭良い』で構わないと思うのだが、そういった考えだと他人を認めることができず、自分の子供も認めることができない。それでもしっかりした大人に育つ人物も多いことは多い。が歪みにはまり自立ができにくい人物も多くでてくる。その両者の違いは良い友達や恋人など、信頼できる関係を他者と結べたどうかの差だと思う。愛したいし、愛されたいと思うのだが、自分の考えもしっかりと揺ぎ無い物を確立もしたい。今日は結論まで考えを深められなく中途半端かもしれませんが、また明日以降も自分なりにニートやひきこもりについて考えたいと思います。もう一つ書き忘れがあるとしたら、イギリスで考えられたNEETという概念についてはイギリスと日本の社会構造の違いも大きいのだが、イギリスではニートに対する社会保障も日本とは違い充実しているということ。イギリスと日本は似た社会的局面は向かえているのだろうが、国の成り立ちや経済活動の種類はまったくことなった異質の国でなんの共通点もないのかもしれない。
posted by neetblog at 22:42| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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